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製薬企業/CROのメディカルライター:
ファーマシューティカルライティングについて
  2015/09/04
  ノバルティス ファーマ株式会社 伊賀美奈子 

 昨今では,ほとんどの日本の医薬品・医療機器メーカーにメディカルライティングの専任の担当者や専門部署が置かれるようになってきました。その背景には,治験をめぐる環境や薬事規制の変化がありますが,特に大きな影響を及ぼしたのが,日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)から発出された「治験の総括報告書の構成と内容に関するガイドライン」(1996年)及び「新医薬品の製造及び輸入の承認申請に際し承認申請書に添付すべき資料の作成要領について(M4)」(2001年),通称コモン・テクニカル・ドキュメント(common technical document,CTD)のガイドラインです。これらのガイドラインは,新薬の承認申請に必要な提出資料の内容や構成を国際的に標準化し,承認審査を全世界で効率的に進めるという目的のもとに作成されました。承認申請時の提出資料はこれらのガイドラインに準拠していることが要件であるため,作成に必要な知識やスキルが以前よりも必要となったため,メディカルライターの必要性が高まったのです。

 現在,製薬企業で働くメディカルライターの守備範囲は多岐にわたっています。前出の総括報告書やCTDだけでなく,CTDに対する医薬品医療機器総合機構(PMDA)からの照会事項の回答,治験実施計画書,同意説明文書,PMDAとの治験相談資料,治験論文などの作成も担当しています。これらの文書は,治験の計画・実施や医薬品の開発・承認申請など目的が多岐にわたっており,対象となる読者も多様です。たとえば,CTDはPMDAの審査官,治験実施計画書は治験実施医療機関の倫理委員会や治験担当者など,いずれも主に医薬品開発の専門家が対象となりますが,同意説明文書は非専門家である患者が対象となります。したがって,メディカルライターはICHのガイドラインや薬事規制を十分に理解するとともに,文書ごとに「主な読者は誰か?」を特定し,科学的かつ論理的,正確で読みやすい文書を執筆する必要があります。

 一方,社内に目を向けると,メディカルライターは通常,プロジェクトや治験チームのメンバーとして,さまざまな役割を担います。治験総括報告書は本文に添付する付録を含めて通常2500〜3000ページ程度,CTDは6万〜10万ページにも及ぶ膨大な文書で,作成にはそれぞれ約3ヵ月,約1年から1年半を要します。CTDは「品質」「非臨床」「臨床」の3つのパートに分かれており,メディカルライターはこのうち「臨床」パートを担当します。「臨床」パートの構成は上位から順に(1)臨床概括評価,(2)臨床概要,(3)治験総括報告書となっており,承認申請後の審査では,主に「臨床概括評価」と「臨床概要」が審査されることになります。ICHのガイドライン(M4)では「臨床概括評価は,臨床概要又は治験総括報告書に示された重要な成績を対象に,申請医薬品の開発計画及び試験結果の優れた点と限界を示し,ベネフィットとリスクを分析し,試験結果が添付文書中の重要な部分をどのように裏付けているかを記述する」よう求められています。このため,CTDの作成では,申請医薬品の特徴(ベネフィットやリスク)や申請医薬品が既存の治療体系の中でどのような臨床上の位置づけとなるかを明瞭に示す必要があり,時に戦略的な内容となるため,開発部門のみならずメディカルアフェアーズやマーケティングなどとの部門横断的な連携が必要となります。そのため,メディカルライターは,ライティングの専門的スキルだけでなく,文書の作成方針やスケジュールなどを調整するコーディネーターとして,高いコミュニケーションスキルも必要となります。また,各種ガイドラインに精通し,文書作成の社内コンサルタントの役割も果たしています。

 私は,ノバルティスファーマ株式会社 開発本部 メディカルライティンググループで2005年から約11年間メディカルライターとして仕事をしています。弊社ではメディカルライターは第II相及び第III相臨床試験の治験総括報告書とCTDの臨床パートの作成及び申請後のPMDA対応(照会事項,CTD改訂)を中心的な仕事とし,最近ではPMDAとの治験相談資料や治験論文なども担当しています。私自身はこれまで,循環器,呼吸器,皮膚科,移植,中枢神経,感染症,癌など,さまざまな治療域のプロジェクト(約15品目)の治験総括報告書やCTDの作成を経験しました。どのプロジェクトにおいても,CTDの作成で最も苦労するのは申請方針及びそれに基づく各文書の記載方針の策定・決定です。臨床開発の経緯,対象疾患や治療上の問題点(アンメットメディカルニーズ),各試験の個別データや解析結果の詳細をみながら,全体の申請方針と各文書での記載方針をすり合わせていく必要があります。しかし,取り扱うデータが膨大であるため,最初は詳細の把握が不十分なまま議論が進んでしまい,後々方針が変更され,書き直しが必要になることがあります。そうなると,CTDは複数の文書やセクションがあり,これを複数の著者が作成しているため,その間の整合をとるのも大変です。また,弊社はスイス(バーゼル)に本社を置く外資系企業であるため,スイス本社や米国にいるカウンターパートとも密に連携して仕事を進める必要があります。米国やEU当局からの要求により途中で申請方針が変わると,日本もこれに合わせなければならなくなることがあります。しかし,その場合でも最初に計画した承認申請予定日を遅らせることなくCTDを完成させなければならず,加えて,品質を犠牲にはできないため,こういった状況はとても大きなプレッシャーになります。また,チームメンバーやマネージメント,海外のメンバーなど,様々なステークホルダーとの議論が必要になるため,深夜の電話会議も含めて会議が頻繁に行われ,まとまった執筆時間を確保できないことも悩みの一つです。一方で,困難が大きなプロジェクトほど,メディカルライターに求められる期待値も貢献の場も大きくなるため,承認取得時の達成感はひとしおで,次への起爆剤となっています。

 さて,医療や薬事規制の環境は日々変化し,グローバル開発の中で世界(日・米・EU)同時申請・承認も稀ではなくなりました。医薬品も合成品から生物製剤,最近では再生医療等製品の開発も整備されつつあり,治験デザインやデータの評価方法が多様化しています。CTDに関しては「臨床概括評価」の中のベネフィットとリスクの記載について,2015年8月現在,ICHのガイドライン(M4)が改訂中であり,今後はベネフィットとリスクの臨床的重要性,それを支持する具体的根拠とその強さなどを構造的に記載することが求められます。これは,医薬品のベネフィットとリスクの評価は試験結果が得られた後ではなく,開発計画立案時から検討を始める必要があることを意味します。従来,メディカルライターは主に治験や医薬品開発の最後の段階で大きな役割を果たしてきましたが,今後は開発計画を立案する段階からプロジェクトチームの主要なメンバーとして,開発全体に貢献していくことが求められるようになっていくでしょう。そのためには,与えられた役割にとどまらず,常にアンテナをはって新しい知識や社会の流れに敏感であることがこれまで以上に必要になっていると感じます。

 医薬品の開発では対象とする疾患や製品によってそれぞれ固有の問題や困難があり,またこれを取り巻く環境は常に変化しているため,治験総括報告書もCTDの作成も,担当するたびにいつも新しいことにチャレンジしているように感じます。CTDは医薬品開発の集大成となる文書であり,許認可の判断のもととなる直接の資料であるため,これを作成するという今の仕事にはとても責任を感じます。日々の業務は地味で,忍耐を必要としますが,承認取得までの道のりを振り返り,乗り越えた壁や進んだ距離を思った時に,とても感慨深く,そうした日々の積み重ねが,とても楽しく感じます。

以上