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コミュニケーションから見た医療、ヘルス
  2015/05/07
  西南学院大学教授
日本ヘルスコミュニケーション学会第7回大会長
  宮原 哲 
I. はじめに:医療とコミュニケーションの関係

 今さら、と思われるでしょうが、人間は何のために文字や文章を書くのか、そして、「書く」というコミュニケーション行動と医療との間にはどのような関係があり、どう影響し合っているのでしょうか。
 論文や報告書を作成したり、紹介文を書いたり、業務日誌をつけたり、さまざまな目的で文書を作ります。当たり前ですが、これは人間だけが持つ言葉、非言語(字体、紙の質など)の「シンボル」を駆使したコミュニケーション行動の一環です。
 コミュニケーションは患者と医療スタッフとの間の情報交換の道具、と考えられていないでしょうか?確かに道具としての機能は大切です。医療を円滑、効果的に遂行するには良質なコミュニケーションが欠かせません。でも、これだけではコミュニケーションと医療、看護、介護との関係を説明する上では不十分です。

 一人ひとり(医療者はもちろん、患者、その家族も)が、コミュニケーションをするからこそ医療や看護、介護、予防、健康管理のための対策を実践する、と考えられるのではないでしょうか。健康で長生きするには日頃からどんな食事、運動をすればいいのか、時にはいやなことでも一生懸命努力したり、反対に好きな食べ物やお酒を我慢したり、といった行動は人間が先のことを考えたり、病に倒れた人をモデルとして見立てて自分に当てはめて考えられる(個人間、あるいは個人内コミュニケーションができる)からこそ可能です。
 医療行為を補助する道具・技術がコミュニケーション、という考え方も維持しつつ、コミュニケーションをするから医療(その他、教育、商売、結婚、子育て、恋愛、交渉、宣伝等)を行えるのが人間、と考えることができます。

II. 「コミュニケーション能力」の誤解と正解

 企業が社員に求める能力として、10年連続「コミュニケーション能力」が一位に挙げられています(日本経済団体連合会、2014)。しかし、何をもってコミュニケーション能力と呼ぶのか、どうやれば習得、向上できるのか、ということはあまり理解されていません。

誤解1 コミュニケーションは「とる」もの

 コミュニケーションを「とる(おそらく「取る」)」という言い方は「連絡を取る」から派生したと思われます。企業でよく言われる「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」のレベルがこの「取る」という表現に込められているようです。
 確かに報告や連絡は必要ですが、それだけでは十分とは言えません。その先の「(意味の)共有」がなければ、特に命や健康といったかけがえのないものを対象としてさまざまな情報の交換を行う医療の世界では、ちょっとした理解、解釈、判断のズレが大変な結果を招くこともあるでしょう。部下や上司、同僚に、そして患者や家族に伝えなくてはいけないことは確実に伝え、その先にある「分かち(分かり)合う」という段階まで到達しなくてはコミュニケーションが機能しているとは言えません。

誤解2 日本人(同僚、家族、友人)だから言わなくても分かってもらえる

 あうんの呼吸、以心伝心など、日本では多くのことばを使って理屈を並べるのを嫌い、気を利かして互いの心を察し、気遣うことを大切にします。根底には、文化的均一性の高さから、「同じところで長い間働いているのだから、考えは似ているはず」と思う傾向があります。人と違ったことを言ったり、したりすると「空気が読めない」から、「出た杭は打たれる」ことになるのでしょう。共通点が多いのは気楽ですが、グローバル社会では自分と相手は違っていて当たり前と考え、それに対応できる能力が重要です。言わないと分かってくれない、だから、分かってくれるように言う(書く)能力です。特に医療機関では「分かってくれているはず」は危険です。

誤解3 対立、衝突は人間関係を壊すから避けるべき

 人とのぶつかり合いは誰にとっても嫌なものです。しかし、一つの病院で働いている人たちが皆同じことを考えているわけはないので、意見の食い違いや多少の対立は当たり前です。相手が誰であれ、批判や対立を恐れずに、とりあえず自分の意見を明確にし、相手の考えにも耳を傾けることが必須です。ぶつかり合いを通じて人間関係が強くなる場合も多いものです。

 以上のような誤解を踏まえて社会で求められる「コミュニケーション能力」を改めて考えてみると、次の5つに分類できます。

1) 発信力:自分の考えを言葉や非言語メッセージで伝える
2) 認識力:状況や相手からのメッセージを感知・理解・解釈・判断し、反応する
3) 役割力:与えられた役割を効果的、適切にこなす
4) 目的設定力:過去を振り返り未来のゴールを設定し、到達の手段を考える
5) 自分力:自分と向き合い、同時に他者との関係を築き、維持、発展させながら自己理解を深める

III. 医療と「書く」の関係

 書くという行為は人間だけが持つ高等なコミュニケーション能力の産物です。では、医療や看護といった文脈で書くという行動、その結果作られる記録や文書がどのような機能を持ち、目的を果たすのでしょうか。

 口頭では表現しにくい、複雑で専門性の高い内容を伝えるのはもちろん、自分自身で後から確認し、さらにその考え方を伸ばし深めるために、時空を超えた意味の創造、発展と共有を可能にするのが「書く」の特徴、用途です。

 ここまで医療、だからコミュニケーション、という考え方を反対側から、コミュニケーション→医療と見てきたのと同様に、書くから医療が生まれる、とも考えられます。しゃべるのと同時に消える話し言葉と違って、文字は残ります。しかし、言動を記録として残す目的以外に、書くことによって初めて「意味を創造する」という働きもあります。

 たとえばインフォームドコンセント。手術することによって予想される結果を、医師と患者、家族が事前に確認、理解するための文書ではありますが、患者からするとその内容を読むことによって改めて術後の経過や結果についてイメージを持ち、心の準備をすることができるでしょう。また医師も口頭での説明で患者に「分かってもらっていたはず」のことが、意外と理解、咀嚼できていなかったことを知ることもできるでしょう。一つの文書を共有することによって初めて手術することの意味や意義を共に創造することができるのは、人間が書く、書かれたものを読む、という力を持っているからです。

 HarveyとKoteyko(2013)も患者と医療者とのやり取りを医療的な観点から専門的な言語に置き換え、その結果創りあげられ共有された意味がそれ以降の診察や治療を左右する、と述べています。書かれた文字は永久に残り、文字を通して医療者の権威と信ぴょう性が築かれる、と言えるでしょう。

 コミュニケーション、特に書くという行動は医療を遂行するための道具ではありますが、それ以前に人間固有の能力であり、医療というこれまた人間だけの営みを可能にしていのです。

 最後に、医療とコミュニケーションの関係を根本的、実践的観点から見直し、研究するために立ち上げたのが、日本ヘルスコミュニケーション学会です。今年は福岡市の西南学院大学で、2015年9月5・6両日、「コミュニケーションから見たヘルス」のテーマの下、学術集会を開催します。詳細はhttp://healthcommunication.jp/でご案内中です。